飛行という概念と飛行機の誕生の歴史 (4)


こんにちは。spit14です。今回はライト兄弟、日本のある航空学者について書いていこうと思います。

1900年にフェルディナント・フォン・ツェッペリンが、水素ガスのみならず骨組みと布張りの技術を用いてLZ-1(世界初の硬式飛行船)を飛行させ、世界はいよいよ20世紀に突入しました。そして、この分野では言わずと知れたライト兄弟が登場しました。

彼らは初の有人動力飛行の成功だけでなく、当時のグライダーパイロットとしては並外れた最高のパイロット達でした。彼らは滑空飛行から出たデータ以外に、飛ぶことに関してより客観的な見方で飛行機の構造について研究するための新技術を導入しました。それが風洞実験です。これによって、気流の流れで飛行機にどのような影響を与えるのかについてデータ化することに成功したのです。

無論これだけでは試験は成功したとしても、常に最高の条件で飛べる訳ではありません。現実の空では大きかれ小さかれ気流の速度や空気密度は変化するが常だからです。なので機体の特性や気流の変化に対して適切な対応ができる航空機にとっての頭脳が必要となります。安定性の悪いライトフライヤーを物ともせず、彼らは1度目で12秒間(36.5m)、4度目で59秒(259m)飛んだのです(強風の向かい風というコンディションなので、無風状態で相対速度を0にすれば計算上より遠くへ飛べます。)。

最近話題になっているある日本人が日本の航空技術発展の原点となった人物がいます。彼の名は二宮忠八です。彼は陸軍時代に羽を止めているにも関わらず安定して飛んでいるカラスをたまたま見つけたことが彼の航空機人生の始まりとなりました。

1891年、彼は固定された主翼に飛行を安定させるための上半角、胴体に水平尾翼垂直尾翼をつけた模型飛行機を作りました。さらに、それにプロペラと動力源のゴムを使っていたので自走離陸も可能でした。(私は当時の日本が航空に関しての情報をほとんど取り寄せていなかったはずにも関わらず、先ほど言った画期的な4つの、特に垂直尾翼の構造やそれが与える影響を知ることができたことに感銘を受けました。)記録は10m(離陸)、36m(手投げ)だと言われています。

1893年にライト兄弟(1896年)よりも早く有人動力飛行を前提とした航空機の開発を試みようとしました。それは無尾翼複葉機で「玉虫型飛行器」とよばれています。恐らくこれが現在メディアが彼に関心を持って、スポットライトを当てている一番の理由なのでしょう。しかし、何かをつくるにはお金が沢山必要になります。そこで彼はに軍に所属していたので上司に航空機開発について報告、連絡、相談しましたが...。

次回は二宮忠八のその後の歩みとバルカン半島の緊張時までの、飛行機が遥かな昔から繰り返した人類の争いの歴史に飲み込まれるところまでの過程を書いていこうと思います。

つづく

飛行という概念と飛行機の誕生の歴史 (3)


こんにちは。spit14です。今回は19世紀の航空技術について書いていこうと思います。

世界が19世紀後半に入ったとき、アンリ・ジファールが3馬力蒸気機関を利用してそれを動力にしたガス気球を完成させました。これが今日の飛行船の原型となりました。それだけでなく航空機の歴史の中で、この機体は帆を装備し(この場合飛行機で言うラダーに相当するもの)、空中での進行方向をコントロール出来る画期的なシステムを組み込みました。

その後ヤン・ヴネンクが自分の手でグライダーを製作、改良、操縦技術を身につけました。それから彼は50mの塔から、1800mもの距離を多くの人々が見る中で飛行することに成功しました。これまで多くの空に引きこまれた多くの学者がジャンプ、墜落を繰り返し、ついに彼が航空技術に新たな歴史の1ページを刻むことができたのです。

しかし、その4年後、飛行試験中に墜落し41歳の若さでこの世を去りました。さらに彼の機体の詳しい資料が見つかっておらず、残念ながらその先進的な機体の概要と航空技術は謎のまま歴史の闇に消えてしまったのです。この25年後にオットー・リリエンタールもグライダーで大きな成功を収めましたが、失速し機体を立て直す努力もむなしく地上へ引きずり込まれてしまいました。当時は特に空に魅せられた人々の宿命だったのかも分かりません。 

次回はライト兄弟、日本のある航空学者について書いていこうと思います。前回ライト兄弟までの出来事について本ブログで書こうと思いましたが、誠に勝手ながらここで分割させて頂きます。前回のブログは再編集させて頂きました。

続く

飛行という概念と飛行機の誕生の歴史 (2)


こんにちは、spit14です。今回は前回の続きで、18世紀の航空技術について書いていこうと思います。

18世紀、フランスでモンゴルフィエ兄弟が熱気球を開発し、史上初の有人飛行を成功させました。そのわずか10日後にはジャック・シャルルが水素を気球の揚力源として、飛行に成功しました。1年後、ジャン・ピエール・ブランシャールがドーヴァー海峡横断に成功させたのです。

つまり、この短期間で彼らは初飛行から30~40kmの距離を飛行可能とするまでにいたるほど、飛躍的に航空技術を発展させたのです。

その1年後、日本で初めて滑空飛行を行った人物が登場します。彼の名前は浮田幸吉と呼ばれています。彼はまだ日本が鎖国の時代でヨーロッパでもまだ飛行という概念が珍しかったのです。しかもヨーロッパの文化をオランダ以外拒絶していたころに、鳥のメカニズムを応用して日本初のグライダーを完成させました。この結果は諸説あり、数mの滑空、あるいはそのまま墜落したといわれています。

しかし、仮に本当であればヨーロッパの有人滑空飛行実験及び航空力学の基本である、重力、推力、抗力、揚力と、飛行機の直進安定性に関わる上半角を発見したジョージ・ケイリーの約60年も早いことになります。

今回はここまでです。次回は19世紀の航空史書いていこうと思います。

続く

飛行という概念と飛行機の誕生の歴史(1)


こんにちは。spit14です。これから飛行機と争いの関係についてお話する前に、まずタイトルに書いてある通り「飛行という概念と飛行機の誕生の歴史」について書いていこうと思います。

人類が飛行の概念について調べようとし始めたのは、キリストが生まれるやく400年以上前といわれています。古代ギリシア文明にアルキタスという学者が、蒸気を動力源とした鳥の形をした飛行物体を100m以上飛ばしたとされています。こちらの情報は残念ながら、証拠不十分のためこの記録が断言できる訳ではないです。もし仮に事実なのだとすれば、全ての航空機の遺伝子の源がこの動力つきの無人飛行機ということになります。

ちなみに彼自身は哲学、軍事戦略などについて学んでいたこともあります。もしかすると、この実験も武器として生み出そうとしたのかも分かりません。しかし、古代ギリシア時代に飛行に関することがこれ以外公式に出て来ていないと言う事は、本人あるいは当時の人々がおそらく科学的観点での信頼性や技術的観点でも、その価値を見出せなかったのだと私は思います。

この後飛行の概念はその後に現れた諸葛亮が天孔という熱気球を飛ばした、約700年以上公式に出てきていませんでした。

875年にアッバース・イブン・フィルナスが自らが人類史上初の有人滑空飛行へと赴きました。結果は墜落と一生背中の痛みを負いました。これもまた公式では史上初の航空機事故で、負傷者です。しかし、現代航空技術のハンググライダーの基礎を生み出した人物となりました。これ以降ルネサンス期に登場したレオナルド・ダ・ヴィンチも含み計画と墜落の歴史は約200年周期に発生していました。しかし18世紀頃にはついに航空機の歴史において、1つ目の大きな成功を成し遂げた人物が登場します。 

続く

私の趣味とこれから書くジャンルについて

こんにちは。これから私の趣味(過去に経験したことも含む)とこのブログで書いていこうと思っているジャンルについて書きます。

私の趣味は主に戦闘機で、航空機が飛ぶ要因から機体のカタログデータ、空中戦、航空技術発達の歴史などに興味があります。私は物心ついたときから父親が見ていた戦闘機映画や本を見て育ってきました。その頃からマニアというほど詳しいわけでなく、デザインやその飛ぶ姿が純粋に好きでした。

あるとき自分の趣味を知り合った人に紹介したら「戦争に関係しているからイヤだ。」、「飛行機は事故るから嫌い。」などと批判されたことが何度かありました。自分が会ってきた人の多く(そもそも無関心の人は除く)は、飛行機と言うと戦争、事故を連想していました。それを言われ、悩んでいた時期がつい数年前までありました。

しかし、批判されたことから今までのかっこいい、強いなどの外見だけでなく、飛行機誕生とその争いの歴史、技術向上の関係の道しるべに関心を持てるようになり、自分で本や画面の上で調べ始めました。しばらくして、同じ趣味を持つ人と出会い、葛藤をほんの少し自分の中で整理することができました。

私はこのブログで主に戦闘機などについての自分の考えをまとめるかだけでなく、航空機技術の歩みについて書いていこうと思います。初めにも言いましたが、マニアと名乗れるほど知識は広くはなく、まだまだ勉強中の身です。もし、何かご指摘やご意見があればコメントをよろしくお願いします。