戦闘機の登場と航空産業の発展(11)"西部戦線…ドーバー海峡における膠着状態…"


こんにちは、spit14です。今回は西部戦線からの反撃の前に、1940年末から1942年初頭までのイギリスを震撼させた出来事について書いていこうと思います。(ブログの内容変更を誠に勝手ながらさせて頂きました。)

1940年9月15日以降、イギリス、ドイツの間で全軍を用いての極めて大規模な空中戦は終わりを遂げました。しかし、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれる制空権争いは、真に終わったわけではありませんでした。その原因は東部戦線の時にもお話しした、Bf109の完成系のBf109Fと、Fw190A戦闘機の登場でした。

Bf109FはそれまでのBf109Eのような尾翼の支柱や、20mmモーターカノン砲のないプロペラ軸などの空力上、空気抵抗の素となるものを無駄を徹底的に取り除き、より洗練されたスタイルへと変貌を遂げました。メッサーシュミット博士にとってはこの機体こそが、本来の目指し、試行錯誤の繰り返されたBf109のスタイルだったのです。

Bf109Fは、Bf109のダイムラーベンツDB601Aの1100馬力に対してあまり大差がない1175馬力のエンジンを積んでいました。しかし、Bf109F-1はE型のその最大速度を50km/hを超える615km/h(最大速度を出せる最適な高度での記録)へと変貌していきました。さらに、ライバルのスピットファイアMk.IやIIに対して翼面荷重はBf109よりも小さいです。にもかかわらず縦方向の運動性、高高度での総合性能で圧倒的な差をつけることに成功したのです。(翼面荷重以外の旋回性能向上については後のブログで解説します。)

また、横転率は低中速度では相変わらずスピットファイアを凌ぎ、上昇面では全ての面で圧倒しました。そのほかにも、Bf109Fに搭載されているモーターカノンと13mm機銃の命中率は高く、集弾性はコックピットからエンジンまでの直線距離でそれぞれ配置されているため、極めて高かいのです。総合面ではスピットファイアmk.I、IIを圧倒、その後継機のMk.Vよりやや勝る結果となります。

Fw190Aは、ようやくBf109Fに対抗できるマーリン45エンジンを搭載させたMk.Vを登場させた矢先に登場しました。その戦闘機はドイツで唯一の空冷エンジン戦闘機で、今や自動車産業でも有名なBMW製の強力なエンジン、BMW801を搭載していました。出力は海面で1,539馬力で、最大速度は6,000m付近まで優れた初期加速を出したと言われています。速度も620kmを超え、低速度で120°を超える横転率、武装はMG151 20mm機関砲4門と、13mm機銃を2門装備し、これらの点において第二次大戦中のレシプロ戦闘機の世界記録を作りました。

スピットファイアはこれらに交戦し、たちまち圧倒的(特にFw190Aによって)されました。これはイギリス空軍にとって極めて深刻なの危機となりました。事実上のイギリス存亡の危機が危ぶまれていました。

その半年後、ドーヴァー海峡の制空権を奪還すべく、スピットファイアの完成形であるMk.IXを登場させます。

次回はドーヴァー海峡の制空権争いについて書いていこうと思います。

つづく