飛行という概念と飛行機の誕生の歴史 (5)


こんにちは。spit14です。今回は二宮忠八のその後の歩みとバルカン半島の緊張時までの、飛行機が遥かな昔から繰り返した人類の争いの歴史に飲み込まれるところまでの過程を書いていこうと思います。

彼は航空機開発のために軍部に頼み込みましたが、結果的には当時の軍部は彼の構想に関して軍事的価値を見出せないと判断したために、拒絶されました。

彼はならばと、陸軍を退役し、資金源の確保も含めて全て自分の手で作り上げようと心に誓いました。彼は結局、模型の試作機で悩まされていたプロペラの配置を実機でも改善できなかったこと、エンジンが離陸重量に対してパワーが足りなかったため、有人動力飛行は実現出来ませんでした。

しかし、後になって、彼の構想やデータが正しかったことをに気が付いた軍部は、二宮忠八に謝罪し彼の功績を称え受賞させました。彼の評価に対して過大評価とみなす傾向ももちろんありますが、当時の日本の航空機開発の開拓者であることは誇張ではないと思います。

1914年になるまでに、ヨーロッパを始め、アジア、中東、各海洋で緊張が高まってきました。対立している国に対しての植民地支配や各国に賛同できる国同士と同盟を結び合い、それぞれ2種類(同盟国と連合国)にジャンル分けされました。世界情勢は、一触即発の危機に直面していたのです。

そして、オーストリア=ハンガリー帝国ボスニアヘルツェゴビナの併合によって、セルビア人の青年が報復としてフランツ・フェルディナント夫妻を暗殺しました。世界を巻き込む地獄の連鎖が、遂に始まってしまったのです。これが、第一次世界大戦となりました。この歴史の荒波に航空機も巻き込まれていくこととなります。

次回は戦闘機の登場と航空産業の発展(1)で紹介していこうと思います。

つづく