戦闘機の登場と航空産業の発展(2)


こんにちは。spit14です。今回は航空産業の飛躍的発展について書いていこうと思います。

戦後の世界では航空機の航続距離、滞空時間、スピード(最大瞬間速度やある一定距離を飛んだ時、あるいは一定回数飛んだ時の平均速度など)などの部門に分かれてトップを競う競技が盛んに行われました。その一つは、何と言ってもシュナイダーカップでしょう。

この競技自体は第一次世界大戦前から始まり、水上機を用いて超低空、いわゆるシーレベルの高度でスピードを競うものでした。そしてこの競技には、マッキ(後にMC.205 ヴェルトロを開発)、スーパーマリン(後にスピットファイアを開発)、カーチス(後にP-40を開発)などの、後に第二次世界大戦で泣く子も黙る有名な航空会社がなだれ込んできたのです。これは、各国の技術をお互いに世界に見せつける絶好のチャンスだったのでしょう。

レースではありませんが、マッキはMC.72と呼ばれる水上機に、二枚のプロペラをそれぞれ逆回転させ、プロペラトルクを打ち消す初の二重反転プロペラを使いました。そして、水上機としては空前の700km/hを超える世界記録を叩き出しました。これは、シュナイダーカップ最後の優勝を飾ったスーパーマリンのS.6Bでさえも最高速は約50km/h以上も上回っていました。さらに、この驚異的とも言える速度記録は今もやぶられていません。(ちなみに、日本では航研機が世界航空連盟から直々に世界記録を認められた唯一の航空機です。1937年に更新されたその記録は航続距離10,651.011km、10,000km飛んだ間の平均時速が186.192kmでした。)

次回は、第二次世界大戦の直前と勃発、航空機の新たな戦術思想について書いていきたいと思います。

つづく