戦闘機の登場と航空産業の発展(8) "独ソ戦…光と影、二人の独裁者の策略"


こんにちは、spit14です。今回は独ソ戦の背景の続きについて書いていこうと思います。

ドイツとソ連が対立し、まさに一触即発かと思われていました。しかしそんな世界情勢の予想を覆し、騒然とさせた出来事があります。それは独ソ不可侵条約です。これは、ある有名な風刺画で、スターリンヒトラーが結婚している様子を描いたものがあります。その時のドイツとソ連の状況を(皮肉の意味で)象徴するものでした。当時、両国は国を上げて双方を対立させていた訳ではありませんでした。なので、彼らはポーランドで兵士達はウォッカやソーセージを提供したり、友好を深めていたこともありました。

しかし、これはアドルフ・ヒトラースターリンの策略で、国際上友好的な関係を保っているように見せかけ、後で双方不意をつこうと警告なく攻めるつもりでいました。これは、両政党内で、ドイツはバトル・オブ・ブリテンでの泥沼化とイギリス侵攻の失敗、ソ連ではスターリンによる国内大粛清、日本とのノモンハン事件で戦力が著しく消耗していたことが背景でした。特に、ソ連はドイツに対し、航空技術が時代遅れのものばかりでした。特にパイロットの質でも全くドイツにかないませんでした。

両国裏をかきながら再軍備完了までの時を待ちました。そして、ドイツが先に再軍備と戦術方法確立が完了し、1941年6月22日、バルバロッサ作戦と呼ばれる奇襲作戦が開始されました。ソ連はドイツに騙され、ソヴィエト存亡の危機がおとずれたと市民にプロパガンダとしてソ連じゅうに広げました。しかし実際はスターリンも冬がおとずれればソ連側から攻めるつもりでいたようです。これは独ソ戦の開始を意味し、双方の軍の兵士達は昨日までの友好を上層部の命令により一蹴りし、彼らはその命令に忠実に従っていました。

次回はドイツのソ連に対する電撃戦と、当時用いられた戦闘機について書いていこうと思います。

つづく