戦闘機の登場と航空産業の発展(3)


こんにちは。spit14です。今回はある人物の苦渋の決断とドイツの生み出した新しい戦術思想からできた新世代戦闘機について書いていこうと思います。

世界は、再び緊張状態に陥りました。原因は、ベニート・ムッソリーニアドルフ・ヒトラーの登場によってファシズムがヨーロッパへ広まったことにあります。

特に当時のドイツは第一次大戦の敗戦によって、今後数百年にわたってイギリス、フランスに賠償金を支払わなければならず、軍縮も命じられたため外交的には完全に崩壊していました。そこで、アドルフ・ヒトラーはこれを踏み台(つまりこれを持ちネタにして、こうたなったのはイギリス、フランスのせいだという内容のプロパガンダをビデオやラジオなどのあらゆるメディアを用いりました。これによって、大衆から指示を短期間で大量に集め、ついにナチスドイツが誕生しました。

アドルフ・ヒトラーは、隣国オーストリアを併合し、チェコ=スロヴァキアのズデーテン地方を取り込もうとした時に、ミュンヘンでイギリス(ネヴィル=チェンバレン)、フランス(エドゥアール・ダラディエ)、イタリア(ベニート・ムッソリーニ)が首脳会談を始めました。ネヴィル・チェンバレンは当時、苦渋の選択に迫られていました。

遅かれ早かれアドルフ・ヒトラーの勢力を武力を持って介入せざるを得なくなる状況ですが、イギリスの航空軍備確保がまだ終わっていない状態でした。もしアドルフ・ヒトラーの要求を拒否すれば、確実に猛烈な反撃をうけ、自国の存亡の危機に立たされてしまう自体になると予想しました。下手に鎮圧せず、平和主義という面目で彼の要求を受け入れ、ズデーテン地方併合を黙認しました。

ネヴィル・チェンバレンの選択についてはヒトラーの侵略行為に対して指をくわえて見ていたという批判的な意見が強いです(後のウィンストン・チャーチルにも、あの第二次世界大戦は防げたのではないかという見方をしていました。)。

しかし、避けられない争いになるならば、今闇雲に鎮圧よりも現時点の最新鋭戦闘機を増やして、パイロットを育成させるべきという考えは、後のヒトラーの世界征服を阻止する重要な役割になったと思います。その意味では後のイギリス存亡の危機を救う為の礎になれたのではないかと思います。この後ドイツはポーランドベルギー、フランスを侵攻し、第二次世界大戦は遂に始まってしまったのです。ネヴィル・チェンバレンは自分の役割を終え、数ヶ月で胃癌でこの世を去りました。

1935年、ドイツでかつての大戦で一般的だったドッグファイトの欠点を見出しました。それは、急旋回し続けた後は速度が低下し、速度と高度を稼ぎにくいこと、ドッグファイトはパイロットに大きな肉体的精神的に疲労を及ぼすこと、旋回中距離があると機銃の弾丸が命中しにくいことをでした。

そこで、ドイツの航空設計士の天才の1人、ウィリー・メッサーシュミットはまず速度エネルギーと上昇力を稼ぐには必然的に、それは非力なエンジンではお話にならないとしました。機体そのものをコンパクトにして空気抵抗を減らしました。高速で高高度からダイブして敵に一撃を加えて高度エネルギーで稼いだ速度で敵をやり過ごし(相手の反撃の機会を少なくする)します。そしてその速度エネルギーを再び上昇に利用してのサークルを繰り返します。このいわゆる一撃離脱という戦法を前提とした新しい発想と、その概念でできたユニークな戦闘機が登場しました。それが"メッサーシュミット Bf(Me)109"シリーズです。この機体の詳しい情報は後ほど書いていこうと思います。

通常、後の傑作戦闘機と呼ばれるものの特徴として、戦火の拡大や敵国の最新鋭戦闘機に備えて、必要最低限の改良で(エンジンの交換、重要な基礎の部分の強度強化、武装交換のみなど)済むよう、基本設計そのものにゆとりを持たせていたことです。なぜなら、新しく航空機を作るにはお金が非常にかかってしまい、必ずしも現存する戦闘機を全ての面で上回るとは限らないからです。Bf109はこれらを見事に満たしていました。

次回は、イギリスの航空設計士の天才と、彼が生んだ傑作戦闘機の一つ呼ばれた防空戦闘機(インターセプター)について書いていこうと思います。